【東京都多摩地区】北野大氏講演会報告
立春と呼ぶにふさわしく、暖かく穏やかな天気に恵まれた2月4日、駿河台にある明治大学アカデミーホールにて、北野大先生の講演会が行われました。
父母会の役員が準備を整え始めた頃から、既にご来場される方の姿が見え始め、開場を待つ方の列はどんどん長く伸びていきました。
定刻を迎えた午後一時、900名のお客さまが埋めた客席の期待が高まる中、「北野家の訓え」をテーマに北野大先生の講演会は始まりました。
小春日和の昼下り、食後間もない方も少なくないはず。うつらうつらされる方もあるかと察せられたのか、早々に北野先生からは「学生にも言うのですが、眠くなったら寝て下さい。ただし、いびきはかかないでくださいね。」と、寛大なお許しが出ます。しかしその直後に、「聞いた話なんですが、講演会で寝たきりの人は、晩年寝たきりになるという説があるんですよ。ほんとですよ」と言われて思わず苦笑。眠気が飛んでいきます。さすがにビートたけしさんと同じ遺伝子をお持ちの北野先生。その後も話の端々に織り込まれるちょっぴり毒の効いたユーモアに笑わされて寝ている暇はありません。
「北野家の訓え」の大きな柱は3つ。①大学で教育を受ける事の大切さ。②意識して、分かるように、こどもへ愛情をかけること。③謙虚であること。
テーマに沿って講演が進む中、エピソードを交えながらご家族の事へと話は膨らんでいきます。
北野家と言えば、弟のたけしさんは言うまでもなく、一家を仕切り北野三兄弟を育て上げた北野先生のお母さまについてもメディアで取り上げられた機会は少なくありません。そのお母さまを北野先生は「頭の良い人」と称されます。弟たけしさんの芸人としての才能はお母さま譲りと分析され、「50年遅く生まれていたら、お袋自身がメディアで活躍していただろう」と才能を惜しみます。
芸人になる事を反対したお母さまとたけしさんが最終的に和解できたのは明治大学の卒業証書が授与された時だったのではないだろうか。お母さまは成功したたけしさんからお小遣いをもらいながらも使うことなく貯金していた・・と、思い出を語るうちに言葉に詰まる場面もありました。先生をもってしても言い尽くせない、お母さまへの深い思いを察して、客席もしんみりとした瞬間でした。
当日のいでたちは、明治のネクタイとタイピン、スクールカラーのワイシャツ。現在も明治大学校友会の副会長に名を連ねる北野先生。「卒業して時間が経つほど好きになる」と、明治大学への熱い思いが伝わります。
「明大生になれたことの幸せ、そして、社会に出たら役に立つ人になるように、それをお子さんに伝えて下さい。」と講演の中でも繰り返し強調されていました。校歌から「我らに燃ゆる希望あり」の一節を引用され、夢をあきらめず前へ進んでいくことが大切だと、ご自身の過去を振り返ります。
教師になりたいという夢を諦め、お母さまの希望に沿って工学部へ進学。卒業後は職がなくつらい時期を過ごしたものの、それでも現在は大学で教壇に立つ身となっている。
「一番頭が悪いと思っていたけれど、大学の先生になった兄ちゃんが一番偉いな!」弟たけしさんの言葉を紹介しつつ、「夢が叶ったと言うことかな。」と北野先生の笑顔は晴れやかでした。
さて、最初の注意が功を奏したのか居眠りをする人もなく、笑いながら頷きながら愉しくお聞きした先生のお話に続いて、質疑応答の時間が設けられました。客席前列から質問の手が上がるとご自身のマイクを渡そうとされるなど、さりげない気配りに「謙虚であれ」という北野家の訓えも垣間見えます。
理系の学生で研究者になりたいなら大学院へ進学するようにとのアドバイス。親世代の第二の人生は、自己犠牲の感があるボランティアより自己完結の達成感をえられる「おせっかい」で周りと「共生」しようという提言、また弟さんへの思い等、質疑応答でも興味深い話が尽きません。
講演会の最後には、贈呈された花束を受け取ると深々とお辞儀をされ、「おふくろの仏前に供えます」と満面の笑みを見せながら、登場された時と同じように、どことなく弟のたけしさんを彷彿とさせる足取りでステージを後にされました。
アカデミーコモンを引き揚げる頃には、日が傾き風もひんやり冷たく感じられましが、講演会の余韻と明大生ならぬ「明大生の親」となったありがたさを感じながら、ほのぼのとした暖かい思いを抱えて帰路につきました。
当日会場へお越しいただいた参加者の皆さま、本当にありがとうございました。