【東京都西部地区】硬式野球部のオープン戦応援と施設見学のご報告
桜満開となった3月30日(土)、東京都西部地区父母会役員有志は、明治大学体育会硬式野球部(以下、野球部)のオープン戦の応援と施設の見学に行きました。
野球部の施設は2006年10月から府中市若松町にあります。「内海・島岡ボールパーク」と呼ばれており、これは、1910年に野球部を創設し、東京六大学野球の結成を推進した内海弘蔵氏と、1952年から37年間にわたり監督や総監督として野球部を率いて、東京六大学優勝15回、全日本大学野球選手権大会優勝5回など、野球部の黄金時代を築き、野球殿堂入りした島岡吉郎氏にちなんで名付けられたものです。
内海・島岡ボールパークは浅間山(せんげんやま)という緑豊かな小高い山の一角にあり、野球場2面、スタンド(観覧席)、合宿所、屋内練習場などで構成され、広大な敷地を占めています。この日オープン戦が行われた第1球場は、イタリア製の人工芝をフィールド全面に敷くリニューアル工事を3月に終えたばかりで、芝の緑がまぶしく、まわりの木立とも調和する大変美しい球場です。レフトスタンドの丘の上には内海氏と島岡氏の胸像が球場の選手たちを見守るように設置されています。内海氏の視線の先には明治神宮球場があるそうです。
専修大学とのオープン戦は午前10時、専修大の先攻で始まりました。明治のスタメンは9人中4人が新1年生という布陣です。明治の先発ピッチャーは伊勢君(4年)。1回表の立ち上がり、1、2番打者から連続ヒットを浴びます。続く3番の送りバントで2、3塁に進塁された後、4番指名打者の適時打で専修大に2点先制されました。
明治の反撃は3回裏。2アウトから、9番に入ったピッチャーの伊勢君がこの日明治の初ヒットを放ちます。新1年生の1番西山君が内野安打で続き、2番丸山君(2年)のセンター前ヒットで、伊勢君がホームに帰り1点を返しました。1回で先制された後は無失点と伊勢君が好投を見せ、明治は6回裏に1点を追加し、同点に追いつきます。
8回表、明治のピッチャーが新1年生の渡部君に交代し、9回表まで無失点で抑えます。9回裏、明治の最後の攻撃。2アウトから新1年生の鈴木君がヒットで出塁します。代走の清水君(4年)が2塁への盗塁を決め、1打サヨナラの期待が高まりましたが、打者はショートフライで打ち取られ、2−2の同点でゲームセットとなりました。
気温が10度を下回る花冷えのなかでのオープン戦でしたが、仲間を鼓舞し合う選手たちの大きな声で、グラウンドは熱気にあふれていました。また、明大野球部は即戦力として活躍する新1年生を迎え、今年のスローガンである「猪突猛進」となってチーム全員がきびきびと動く様子はとても頼もしく、春のシーズンがますます楽しみになりました。(30年ぶりに猪ワッペンも復活です。)
2点を追う明治の攻撃
試合後、野球部のマネージャーさんにご案内いただき、選手の合宿所を見学させていただきました。「島岡寮」と名付けられた合宿所はレフトスタンド奥の丘の上にありますが、まわりの土地の起伏に見え隠れするよう2階建てにしており、外壁に松材の格子が使われ、浅間山の景観に溶け込むよう工夫されています。
合宿所の玄関に一歩入ったとたん、島岡監督の写真、野球殿堂入りした23人のOBの銘板、様々な大会の優勝記念バットなどに迎えられ、野球部の伝統にいきなり圧倒されました。中庭からの自然採光がふんだんに取られ、合宿所内は明るく、清潔でした。食堂の陳列棚は数々の栄冠を勝ち取った際のトロフィーや記念盾が並び、さながら博物館の様でした。さらに、明治大学野球部の貴重な歴史的資料が展示・保管されている「島岡記念室」も見学させていただき、あらためて野球部の長く輝かしい歴史に感銘を受けました。
次に、屋内練習場も見学しました。プロ野球の施設と思わせるほどの巨大な空間となっており、圧巻でした。明治大学の選手がドラフト会議の結果を待つ場所としてもしばしば使われており、指名された選手が仲間から祝福される映像をテレビで見たことがある方も多いと思います。
さて、東京六大学の春季リーグ戦がいよいよ開幕します。東京都父母会連絡協議会では、5月19日(日)の慶応義塾大戦で応援会を行います(雨天で試合中止となった場合は5月25日(土)の法大戦で行います)。東京都西部地区の方々はこのホームページにアップしているご案内にてお申し込みください。特に、新1年生のご父母の方々には、応援会と試合後の歓迎会のご案内を郵便でお届けしておりますので、奮ってご参加ください。
それではみなさん、明治神宮球場にてお待ちしております!